七年前


「…なだけなんですけどね。」
「わかった。その時から、法介にはツノが立ってたって事だね。」
 響也の指が王泥喜の前髪を弾いた。王泥喜の眉毛が前髪に従い上がる。
「アンタ、人の話を聞いてますか?」
 くすぐったそうに身を捩るのを追いかけて耳元で告げた。丸くなってケラケラと笑う響也の髪に頬を埋めてくっつく。好きあっている上に、まだまだ若造だからスキンシップは過多になる。普通に話をしていたはずなのに、もうこれだ。
「昔の話を聞きたいって言ったのがアンタじゃないですか。聞く気がないんでしたら、此処でずっと話しますよ!」
「駄目、止めて。くすぐったい。」
 両耳を手で塞ぎつつ、悪びれない様子で御免、御免と言葉にする。目尻の涙が溜まっているから、余程のくすぐったがりなのだろう。のしかかりながら、床につけている両手を脇まで持ち上げて柔々と触れれば、響也は、ひゃっと喉に絡まる悲鳴と共に、今度は仰け反った。
「脇が甘い!」
 両腕を腰に当て冷ややかな視線を送る王泥喜に、(おデコくんの鬼!)と罵声が上がる。
「人の話を聞かないアンタが悪いんでしょ。」
「聞いてるよ、聞いるって言ってるだろ。何だよその目は!」
「元々こういう目なんです。どんぐり眼で悪かったですね。童顔ですみませんね。俺の背が低くてアンタに何か迷惑かけたか!?」
「いきなり何怒ってんだよ、誰も言ってないだろ、そんな事。」
 むっと眉間に皺を寄せたが、王泥喜の眦の赤さと瞳の潤み加減に気付き、響也は愕きに瞬く。
「おデコくん、酔ってるの?」
「酔ってません。」
 法廷の時と同じしっかりとした声が返ってくるものの、言動が既に怪しい。
 目が座っているような気がする。良くわからないのは、大概は響也が先に酔いつぶれてしまい、王泥気が泥酔しているようすなど見たことがないからだ。
(風呂場で疲れさせたせいかもしれない。)響也は思い当たった行為に苦笑いをした。

「ねぇ、響也さん。」
 至極真面目な声が王泥喜の口をつく。
「七年経って響也さんは、これで良かったんですか?」
 思ってもみなかった台詞に、響也は息を飲んだ。咄嗟に答えの出来ない響也の様子を、王泥喜は否ととったようだった。眉間に皺を寄せて、響也を見下ろしている。
「あの?」
「だったら、戻りましょう、七年前に。」
 自信たっぷりな王泥喜に声に、今度は完全に言葉を失う。

 『戻れるなら戻りたい』それも確かな本音だった。
もっと自分がしっかりしていれば、兄に罪を犯させる事はなかったのだろうか?成歩堂弁護士に、冤罪を着せる事はなかったのだろうか?
そもそも、検事などを目指さずただ普通に出会ってバンドを組んでいれば、ダイアンに犯罪を思いつかせる事も無かったのだろうか?
 後悔しても仕方ないけれど、しないではいられない憤りに思考を塞がれる時も確かにある。

 泣きそうな表情になったであろう事を感じて、響也はくと唇を噛み締めた。
 王泥喜が酔っている事だけが唯一の救いだ。こんな顔見せたくもない。出来れば記憶も飛んでいてくれるともっと良いと願う。
「戻れる訳ないじゃないか。どうして、急にそんな事言うんだい?」
「響也さんが笑ってるからですよ。」
 王泥喜の腕輪がはめられた手が響也の頬に当てられる。
「痛いほど締め付けられてるのに、なんで笑ってるんですか、アンタ。
 見てると悔しいんですよ。そうでしょう? 好きなんだから当然でしょう?」
 王泥喜の言う意味が、響也にはよく分からなかったが、率直に自分を気持ちを言葉にしてくれているは嬉しかった。照れ屋で口ベタな彼の愛の言葉は、ガリュー・ウェーブのプラチナチケットよりも遙かに貴重品なのだ。
 王泥喜へのアルコールは、彼の羞恥心を緩慢にそして、大胆にする効果があるようだ。
「好き?」
 そう聞けば、好きです。と真っ直ぐな答えが返る。嬉しくて、背中に腕をまわした途端、王泥喜の表情が変わった。
(成長期ですよね)などと言い出して、聞いていればさっきの背が低いという部分に固執しているようだ。体躯の差は、王泥喜の劣等感を刺激するらしい。
「七年前に戻って成長し直したら、俺、響也さんよりも背が伸びますから。」
「え?そ、それは無理なんじゃない…かな?」
 遺伝の問題とか、あるし…?
「牛乳を毎日1ガロン飲みますから、大丈夫です。」

 注意・1ガロンとはドラム缶一杯分です。

 うわ、おデコくんて、結構ハイレベルな酔い方をするんだ。妙な感心をしていれば、いきなり立ち上がった王泥喜はトコトコと窓際まで歩いて行く。そのまま窓を開け放つと同時に手摺に脚を掛けた。
 にっこりと笑う。
「140キロを超えたら何処でもいけますから、大丈夫です!」
「まった。タンマ! ちょっと待って!!」
 響也は慌てて腰にしがみつく。
「はい、七年待ってて下さい。すぐですから。」
 王泥喜の力は普段でも響也よりは強い。
 組み敷かれると抵抗できないのは別の理由があるとしても、酔っぱらって加減の効かない王泥喜を制御することが、響也には出来なかった。
 自分自身もアルコール回っているせいなのかもしれないが、このまま落ちて無事でいられる高さじゃない。再会する世界が違って来てしまう。

「駄目だ、法介!これから七年、法介に逢うまで我慢するなんて僕には無理!
 嫌な事も、後悔することもいっぱいあったけど、法介といられる(今)じゃなきゃ駄目だ。絶対今が良い!!」

 だから…!
 そう叫ぶ前に、王泥喜の身体が床にぺたりと座り込んだ。腰に腕を回したまま、響也の身体も床に落ちる。
 王泥喜の顔は真っ青に変わっていて、虚ろな瞳ではあったけれどさっきまでの酔っぱらいっぷりを発揮するつもりはなさそうだ。響也はほっと安堵の息を吐く。 
「良かった、正気に戻ってくれて。」
「…いや、その俺、高所恐怖症なんですよ。下みたら一気に酔いが冷めました。」
「そ、そうなんだ。僕は冷や汗が出たよ。凄い酔い方するんだね、おデコくん。」
 すっと伸びた王泥喜の指が、響也の額に当てられる。髪が汗に張りついているのをその指が解いた。そして、はっと気付くと、指どころか身体ごと響也から後ずさると、困ったような不貞腐れたような表情を響也に向けた。
「す、すみません。また汗かかせちゃって…その、お風呂もう一度…いや一緒じゃないですよ。一緒もいいですけど、その…。」
「…暫くは遠慮するよ。」
 虚ろに笑うと、王泥喜は首を傾げた。記憶は残っていないんだと思うと、響也は少し寂しいと思う。
 酔ってる彼はなんとも積極的だ。溜息交じりに好きだと呟くと、視線が返ってくる。答えを期待しちゃいけないよね…?

「俺も大好きですよ。」
 
 けれど、躊躇い無く返って来た王泥喜の言葉に響也は酷く狼狽した。

〜Fin



content/